想像力としての政治

自分自身の生活は、常に外国人の方々といっしょなので、極端な人たちのヘイトにすぎず、日本は排外主義ではないと能天気なことを思っていたが、参政党だけではなく、自民党も、AfDやフランスの国民連合と変わることのない、極右である。

況や、皇室典範やき国旗破壊に於いておや。

 

極右と言っても過言ではない高市政権といかに対峙していくか。

対峙する野党勢力が存在せず、高市内閣支持率は50%。しかしながら、自民党支持率との乖離は、総選挙の大勝の原因が野党の自滅であることの証左ではある。

 

ただ、支持率を挽回させたイギリス労働党は参考にはならない。バラマキでは一時的なカンフル剤にすぎず、遠からず破綻する。

いずれ、リフォームUKが再躍進するであろう。

ドイツでは、AfDが州政権を獲得し、フランスでは、国民連合候補者の大統領選挙決戦投票への進出が確実視されている。

むしろ、極右の進出は社会的な趨勢である。

 

では、私たち少数派には希望はないのか。

第一に議院内閣制における、抵抗政党の役割の再評価である。政治改革論華やかなりし頃、樋口陽一先生が『法律時報』で論じられていたように、旧社会党のような抵抗により国会を再活性化する。明治期に藩閥に対抗した民党のように、国会を手段として活用する。そのためには、来年の参議院選挙で比例から枝野幸男さんに立候補していただき、再び少数派のリーダーとして、高市内閣に対峙する。

第二に、自治体の活用である。

私たちの生活は、国だけではなく、自治体によって支えられている。松下圭一先生の言うように、政府の役割は三分化している。

そこで、来年の自治体選挙を活用し、自治体から政治を変革する。首長として、議員として、自治体の二元代表制を活用して、高市政権に対抗する価値を提示し、有権者に選択肢を提供するのだ。これにも、落選代議士たちに活躍の場が与えられているのではないだろうか。

もちろん、政権交代が目標ではある。

しかし、そこへの長い道程には、明確な見通しが必要だ。

価値の転換により、政治にルネサンスをもたらそうではないか。

マリーヌと国民連合

畑山敏夫「2012年大統領選挙・国民議会選挙と「マリーヌの国民戦線(FN)」」佐賀大学経済論集

反体制的な異議申し立て路線を転換して,政権への道を開くための自己刷新が真剣に追求されることになる。

党のイメージ転換によって有権者のFN に対する忌避・嫌悪感を緩和して信頼感を醸成すること,そのことによって支持を拡大することを目的としていた。

「脱悪魔視(dédiabolisation)」(忌み嫌われるイメージを払拭すること)によって党に信頼性を付与する戦略を意識的に追求している

逸脱的言動を回避し,政策的な提案をする信頼できる政党としてイメージ・アップを図った

グローバル化の時代が国民のなかに醸成したエスノセントリック(自民族中心主義的)で外国人嫌いの感情を広範に動員することで,「自国民優先」の主張は異議申し立ての役割を超えて,FN のイデオロギーや政策に有権者の支持をもたらす手段になっている(「アイデンティティのポピュリズム」)

 

最悪でも高市政権か

最悪でも高市政権なのか。

草の根の保守主義運動は、新しい歴史教科書や従軍慰安婦問題で、大きな勢力を持っていた。それが、既成政党不信という形で参政党への支持につながった。

でも、単独では政権は獲得できず、自民党が主となる連立政権が不可避である。

所詮、高市をはじめとした自民党に篭絡されてしまうのでは。

参政党はそんなに

石原慎太郎や橋下徹と比較して、そんなにひどいのか。

むしろ、石原や橋下を持ち上げてきたのがメディアなのではないか。

手のひらを返したように参政党を非難しても、

むしろ、支持者を固定化してしまう。

トランプ支持者と同じように、メディアは偏向している敵であるとレッテルを張られているだろうから。

これからの政局

石破続投⇒連立組み替え

①あり⇒自公国中道右派連立政権 ②なし⇒(いずれ)辞任

石破辞任⇒総裁選挙

①小泉進次郎、林、赤澤⇒連立組み替え

A あり⇒自公国中道右派連立政権 B なし⇒少数政権

②高市早苗⇒連立組み替え

A あり⇒連立想定できず B なし⇒少数政権⇒総選挙⇒自公維新参政保守連立政権