「社会思想史」レポート

今日書いていた社会思想史のレポートです。
本と新聞で開けた世界
――全体史のなかの自分史――

1 はじめに

 私の自己認識とその歴史は,本や新聞による社会とのかかわりにより形成されてきた。本や新聞で,「世の中が,世の中を見る自分が読めた(内田 1971)」のだ。
以下では,私の自分史における初期の思考の形成から,ゴルバチョフの登場によるその180度の変化,そして社会思潮の変化による,自らの考えの変化を跡づけていきたい。

2 家族
2.1 父
 父は商品先物取引を行っている企業の会社員であった。資本主義と自民党一党優位政党制を当然のものと考えていた。1989年の参議院選挙で社会党が躍進した結果を評価している社員に対して「社会主義になってもいいのか。」と言ったほどだ。今でも石原慎太郎に心酔している。
私は父が好きだったので(もちろん今も),巨人ファンであった父と同じように巨人ファンになったように。無批判に父の考えを受け入れていた。私は,田中角栄ロッキード事件で有罪判決を受けた後も,図書館で写真集を借りて,むさぼるように見ていたし,田中を賛美するような本を読んでいた。

2.2 すべての肯定
 現実に存在するものはすべて合理的であるとの無批判な考えで,すべてを肯定的なものとして受け入れていたのである。

3 本で見えた世の中

3.1 ゴルバチョフの登場
 高校に不合格になり,大検で大学に行こうと考えた。高校に行かずに自宅で時間を過ごすことになった。ひとりの時間はあまりにも長く,それをもてあましていた。受験のために有益だということもあったが,身近にあった新聞(朝日新聞)に自然と手が伸びるようになった。最初の頃は社説を読むのにも30分ぐらいかかるという有り様であったが,徐々に新聞を読むことが楽しみになっていった。もちろんこの頃は,いまあるものに否定的で,現状を変えていこうとする朝日新聞の論説に賛同することはできなかった。一つ一つに反論を考えながら読んでいるという感じであった。
ところがここで,ソ連共産党書記長としてミハイル・セルゲービッチ・ゴルバチョフが登場した。「ペレストロイカ(改革)」と「グラスノスチ(情報公開)」を掲げ,古い体質を変えていこうとする彼の姿勢は,大軍拡と大減税を行う高齢のレーガンに辟易としていた自分にとって,颯爽として輝いて見えた。
また,この頃になると新聞だけでは知識として不十分だと感じ,図書館に通うようになった。そのときに,佐々木毅『保守化と政治的意味空間』に出会った。最初は佐々木氏の議論は,田中角栄を肯定していた自分としては,金権政治を非難するなど,「田中支配」の現実から,乖離していて,空想的だと感じていたが,言葉によって意味空間を再生し,選挙制度比例代表制に変えることで,政権交代可能な政党制へと変革していこうとする氏の考えに徐々に共鳴するようになった。
ゴルバチョフの登場によって自分の考えが,「現実というものは変えられるものだ」との考えにかわってきたのだと思う。

3.2 1989年の土井ブーム,1993年の日本新党ブーム
 リクルート事件・消費税・農政批判を受けた土井ブームや,政治改革の頓挫や金丸事件での竹下派分裂による自民党分裂を受けた総選挙における日本新党ブームは,自民党一党優位政党制が絶対的のものではなく,変えていけるものだということを感じさせた。
 しかし,この頃は「国を変えなければ社会を変えることはできない」との国家統治(松下 1999)の考えを持っていた。市民自治の発想で社会変革をとらえることができなかった。

3.3 歴史的趨勢
三谷太一郎『二つの戦後』,『日本政党政治の形成』
『二つの戦後』は二回の世界戦争後の状況に対する日本の適応について考察し,『日本政党政治の形成』は原敬の政治指導を観察することにより,原がいかなる理念で行動していたかを考察したものだ。
『二つの戦後』はパックス・アメリカーナへの適応として日本の二つの世界戦争の戦後をとらえ,『日本政党政治の形成』での原敬は,パックス・アメリカーナがもたらす民主化の潮流が社会を動かす要因になると考えていた。ともに,パックス・アメリカーナという歴史的趨勢を読み行動していたのである。
 この二つの著書で,私は歴史的趨勢ということを学んだ。自分がどのような歴史的な位置にいるのかを考えて行動することの大切さである。

3.4 丸山真男『「文明論之概略」を読む』と『丸山真男著作集』
『「文明論之概略」を読む』は何回挑戦しても途中で挫折してしまったのだが,この本を読んだことがきっかけとなって,丸山真男福沢諭吉の政治に対するシンプルな考えを学ぶことができた。福沢によれば政治とは「悪さ加減の選択」であり政治的選択とは「より少ない悪を選ぶこと」だと学んだ。また丸山は政治を「理想と現実の乖離を埋める永久運動」と考えているとの視点を得ることができた。
政治を永久運動や,社会的な諸矛盾を止揚する運動過程ととらえることにより,政治を動態的なものととらえることを学んだと思う。政治は完成されたものではなく,常に変革していくべきものであるとの視点である。

 3.4 選挙ボランティア
 1996年の総選挙で民主党の候補者 の選挙ボランティアを行った。初めて選挙のボランティアを行ったのだが,その事務所には人がいなくて,すぐに選挙カーに乗せられ,候補者の街頭演説を何度も聞く機会に恵まれた。
 いままでの官僚主導ではなく,「政治が政策を作り,議員立法により,それを具体化するための法律を作っていこう」との候補者の主張は,政治とは自分たちが変えることのできる身近なものであるということを感じさせた。
そして自分も政治の場で活動したいと考えるようになった。社会を<よりよいもの>に変えていく永久運動としての政治である。

4 世の中を見る自分

4.1 自治分権の社会へ
 松下圭一『日本の自治・分権』を読んで,日本は,官治集権型社会から自治分権型社会への変革期という歴史的趨勢にあることを学んだ。
国を変えなければ社会は変わらないのではなく,自治体を変えることが社会を変えることにつながる市民自治という考えに共感を持った。生まれてから死ぬまで,朝起きてから夜寝るまで,私たちの生活はさまざまな自治体のサービスに依存している。どのような自治体に住むかによって私たちの生活は大きく左右されるのである。したがって,いかなる自治体を作っていくかは,私たちの生活にとって切実な問題なのだ。
また,東京都武蔵村山市議会議員のふくおひろしさんが「朝日ジャーナル・ノンフィクション大賞」をとった『東京村デスマッチ議員奮戦記』を読んで,不正を告発・糾弾し,市長や助役をクビにし,無駄な税金の使い方を正す,市議会議員の自治体における広範囲の可能性を学んだ。
社会における当事者として,主権者の一人として,自治の可能性を感じることができた。

4.2 1997年11月 大宮市議会議員選挙への立候補
 1996年11月の市報に大宮市の決算についての報告が掲載されていた。国と同じように,公共事業にかたよった税金の使われ方が行われていた。詳しく調べてみると「行政の不良資産」といわれている公共用地の先行取得に1000億円が使われていた。またそのことが市債の残高を拡大させ,経常収支比率や公債費負担比率など,大宮市の財政状況を急激に悪化させていた。
このような税金の使われ方は,私たちの生命や財産を守る,あるいは私たちの生活に安心を保障するという点からみて,公共性がない。このような税金の使い方を変えていくためには,しがらみのない自分のような人間が市議会議員になり行政をきびしくチェツクしていかなければならないと考えた。公共事業にかたよった税金の使われ方を,社会保障へと転換してき,安心して自己決定できるような自治体へと変革していくのである。
また,この頃は官官接待やカラ出張など,自治体における税金の無駄遣いが社会問題化した。しかし,当時,大宮市にはそもそも情報公開条例がなかった。市民の知る権利を保障し,行政の説明責任を全うさせるような情報公開条例の制定も課題であった。
そして,会社を辞めて市議会議員選挙に立候補した。
結果は952票で落選した。

5 おわりに

 97年の選挙が終わり,次の選挙に立候補しようと考えていたが,さいたま市の合併の関係で6年後の2003年が選挙の期日となった。その間,アルバイトをしながら生活をしてきたが,自治体行政に対抗するためには,法政策をはじめとした,自らの知識を高めなければならないと考え,2001年に埼玉大学経済学部夜間主コースに入学した。
 しかし,2003年にはさいたま市議会議員選挙に立候補しなかった。政令市となり,定数が減って激戦が予想され,再び失敗することを恐れてしまった。
 でも,自治分権の歴史的趨勢のなかで,納得できない政治のあり方,税金の使われ方を変えたいとの思いは強く,今は,ブログ(Web log)「吉本てつや 埼大生の妊娠カレンダー 」(http://d.hatena.ne.jp/ec31913/)により自らの考えを社会に発信することで,考えを同じくする人々の共感を得られれば,何がしかの物を得られるのではと考えている。

[文献]
内田義彦,1971,『社会認識の歩み』岩波書店
松下圭一,1999,『自治体は変わるか』岩波書店